「神の招きにふさわしく歩もう」  02.04.28 
                        エフェソ4:1〜6

 <神から招かれたのですから…>。御言葉は私たちのことを
このように言います。
礼拝に集い、キリストに連なり、神の民とされている私たちのことを、
神からお招きいただいた存在だと、語りかけられます。
招かれるために頑張りなさいというのではありません。
すでに招かれ、神に迎え入れられているのです。

 あまりに一方的な恵みでありますから、私たちはこのことを
疑いたくなります。自分の愚かさや罪を見て、こんな自分は招かれ
迎え入れられているはずがないと思いこみ信じたくなります。
 しかし、「招き」は神さまご自身がお決めくださったことです。
私たちが疑ったり決めたりするような事柄ではありません。

 「招きにふさわしく」は、「招かれた者としてふさわしく」ということです。
招かれるのにふさわしくないところを抱えているわたしたちを、驚くべき
恵みによって選び、招き入れてくださった神に感謝し、賛美することから
ふさわしさは始まります。

 招かれ迎え入れられているのは、自分だけではなく、教会の兄弟姉妹
みんなです。この視点の中で、教会独自の深い一致と交わりが生まれます。
教会は、気の合う者同士の集りではありません。人間の思いよりずっと深く
確かな、神の招きによって生み出された群れです。

 この視点を失い、人間的な思いだけを重んじるならば、教会ではなくなります。
互いにこのことを心に留めたいのです。親しい者、親しくない者、よく知らない者の
ためにも祈りあえるのが教会の豊かさです。

 2〜3節は、「神が」という視点から生まれる態度であり、自分自身が神のように
なっていたのでは持つことのできない態度です。
 神が、今から招こうとしておられる人たちの存在を忘れることはできません。
招こうとしておられる方がたくさんいるはずです。その人たちが招きに気づき、
神に受け入れられた喜びに生きられるように仕える伝道の働きを大事にする。
これは先に招かれた私たちに託されていることです。